
もし女性に生まれ変わるなら、「ガル・ガドット」みたいな女性になりたい。
どうもヨッシー店長です。
現在、千葉県には緊急事態宣言が出ていますが、今のところカフェガパオは「いつも通り営業」する予定でいます。
どうぞよろしくお願い致します。
皆様、年末年始は如何お過ごしでしたでしょうか?
自分は、店の営業自体は11連休だったものの、個人的にはほぼ毎日仕事をしていました(^-^;)
「休まなきゃなー」と思いつつも、気付けば何かしらの作業をやってるんですよね。。
多分こういう経営者の方は多いのではないでしょうか。
でも最近「仕事と趣味の境界が曖昧」になっています。
この状態ってサラリーマン時代には無かったことです。
ある意味「自分で自分の人生をコントロールしている状態」なのかもしれません。
先日、独立してから4年が経ちました。
大変なことは色々ありましたが、でも現在のような「裁量」がある仕事のやり方は、自分には合っているのだなーと実感しています。(全て自己責任ですが)
個人事業主5年目も日々精進していきたいと思います!(^-^)q
さて、先日その休み中に、久々にレイトショーに行ってきました。
観たのは、
『ワンダーウーマン 1984』
です。
※以下、ネタバレはありませんが、映画の感想なので、読みたくない方は今回はスルーして下さいね(^-^;)
まず感想を一言でいうと、
「うーん、別に映画館でなくてもよかったかな…(^o^;)」
といった印象です。
映画自体、別に面白くなかったわけではないです。
ガル・ガドットのセクシーさや、コメディ要素、アクションシーン、現代社会に通じる部分など、色々楽しめる要素があるので、退屈にはなりませんでした。
ただ、大スクリーンと臨場感溢れる音響(今回はアイマックス・レーザー)で観るには、やや物足りなかった印象はあります。(自分が期待していただけかもしれませんが(^-^;))
前作はそれなりに「ドシャーンッ!ガシャーンッ!」といった派手なアクションがありましたが、今回はそこまでではなかったように感じます。
やはり映画館の環境で見るなら、スターウォーズのようなSF作品が向いているのかな。。(上から目線ですみません。。)
今回、あるアイテムが出てきて、そのアイテムには”魔法”の力が宿っているという設定になっています。
自分はこの”魔法”という設定が、今回に限らず、映画では好きではありません。
なぜなら、どんなに窮地に追い込まれたとしても、結局最後は「魔法の力でなんとかなる」からです。
ハリーポッターシリーズも、この理由で見ていません。。
※話の途中で死んた人が、魔法の力で蘇ってしまう設定は一番ダメ(笑)
近年のアメコミ映画はそれがわかっているのか、原作では魔法の設定でも、実写版ではそこをややぼかし「超能力(超感覚)」や「魔術(多元宇宙からエネルギーを引き出す技術)」などの設定までに抑えていました。
しかし『ワンダーウーマン 1984』では、”魔法は魔法”として扱っているため、ある種“制限”が無い状態です。
これだと観ている側としては、「まあ、魔法でどうにかなるでしょ」と思って、緊張感が薄くなっちゃう気がするんですよね。。
まあでもワンダーウーマン自体が「神の子」というトンデモ設定だから、何でもありっちゃありですが…(^-^;)
そんなご都合主義がありつつも、最後は「自国第一主義」「ブラック・ライブズ・マター」「コロナ禍」などの世相を考えさせるような方向に向かっていき、これがあったことによって
「ヒーロー映画だけど、これはこれでありかもしれない」
と思わせてくれました。
たしかに2010年以降のヒーロー映画は「ドシャンッ!ガシャンッ!」ばかりだったので、観ている人もやや食傷気味ですもんね。。
きっと今後のヒーロー映画は「考えさせる作品」も増えていくのではないでしょうか?
ワンダーウーマンは3作目(完結編)の公開が決まっているので、3作目はどうなるのでしょうか…?
個人的には「MeToo運動」や「人権侵害」をテーマにした作品になっていくのではないかなーと予想しています。
ちなみに途中出てくる黄金の鎧、どう見ても『聖闘士星矢』から影響受けているように思えるのは自分だけ?
射手座のゴールドクロスっぽいんだよなぁ…(^-^;)
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